学会賞受賞者(2005年)

日本進化学会賞(木村メダル)
長谷川政美(統計数理研究所教授)
「最尤法に基づく分子系統樹推定の統計学的方法の開発」
 現存する生物種のDNAの塩基配列やタンパク質のアミノ酸配列などの分子データに基づいて種の過去の系統関係を復元するにあたり、長谷川政美博士は、進化のプロセスに関する数理モデルを明示するとともに、データから最尤法によってパラメータを推定し仮説を検定するという手法を確立した。それまでの経験的な方法にくらべて、長谷川博士の考案した最尤法は精緻な統計学理論に基盤をもっているため、さまざまな統計的解析によって系統関係の量的な検討を可能にした。長谷川博士は、分子系統学への最尤法の導入ではJoseph Felsenstein博士らとほぼ同時期であったが、またその後は、独自のより洗練された数理モデルにもとづいた系統樹の推定法や統計的有意性を判定する検定法を開発し発展させた。ことに、岸野洋久博士らとともにアミノ酸置換パターンモデルを提唱した論文は、世界的にも頻繁に引用され、本分野の古典(classic)論文となった。
 さらに、自らが開発した最新の方法論を実際の分子データに適用することにより、長谷川博士は、ヒトがチンパンジーと分岐した時間の推定、哺乳類の系統関係や原生生物の起源に対して、新たな知見を次々と明らかにした。このように、それまでの化石や形態だけに頼る系統推定に対して、統計的理論に基づく分子進化学的議論の有効性を示し、進化学における分子情報にもとづいた系統学を確立する上で大きな役割を果たした。
 多量のゲノムデータが得られるようになった昨今、コンピュータによるデー タ処理によるパターンの検出はさまざまな手法がとられているが、厳密な数理 理論にもとづいた長谷川博士らの手法は、他に抜きん出た有用性をもっている。今後ゲノム科学の進展とともに長谷川博士らの手法の重要性がますますます増していくと思われる。
 以上の理由で、長谷川政美博士は、日本進化学会賞受賞者として最もふさわしいと判断し、また木村資生記念学術賞受賞候補者として推薦することになった。


研究奨励賞
柴尾晴信(東京大学大学院総合文化研究科助手)
「社会性アブラムシに関する進化生態学的研究」
 柴尾博士は、北海道大学での大学院時代から、一貫して兵隊アブラムシの研究に従事してきた。ソルジャーとよばれる巣の防御に特化し繁殖力をもたない個体が出現することは日本の青木重幸博士によって発見された。柴尾博士は、そのソルジャー個体の割合がコロニーのサイズとともに増えること、またその比率の調節がどのように生じているかについて量的遺伝学理論に基づく重回帰モデルを駆使して複数レベル淘汰を検証した。さらにはソルジャーが実際に捕食者への防御に対してどのように効果があるかを野外で測定し、多数の論文として出版した。その後、産業総合研究所のポスドク研究員としてソルジャーをもつアブラムシの人工飼料による飼育方法を完成し、そのことによってソルジャー生産の制御機構に関する実験的研究に大きな寄与をした。さらに日本学術振興会特別研究員として筑波大学に移り、個体間の化学コミュニケーションの研究をすすめた。
 進化学の関連分野としての社会生物学の実験的研究を精力的にすすめ、ことにさまざまなアプローチによる研究を実施して、その成果を国際誌に20数編の論文として発表している柴尾博士は、今後の研究者としての発展も期待でき、研究奨励賞の受賞者として適切であると判断した。


教育啓蒙賞
JT生命誌研究館(所長・中村桂子博士)
「長年にわたる進化学の教育・啓蒙活動への多大な貢献」
 JT生命誌研究館は、一方で一流の研究者による基礎生物学の研究を進めながら、他方で一般市民や学生に対する進化学を含めた生物学の教育・啓蒙活動を長年にわたって非常に効果的にすすめてきた。とくに、進化が生物学・生命科学を統一する基本的な観点であるという点を明確にみとめ活動してきた。現在日本において自然科学と一般社会との間の乖離がとくに問題になっている。その意味で優れた研究博物館としての活動をすすめてきた生命誌研究館の役割は、非常に重要である。
 以上のことから、JT生命誌研究館は、日本進化学会の教育・啓蒙賞を授賞するにふさわしいと判断した。

日本進化学会 学会賞・研究奨励賞・教育啓蒙賞歴代受賞者